幸せの味

 酒の席での会話である。

「私は幸せになれるかしら?」

そんなことを言うのは、決まって年頃かそれ以前の女達である、あまりに楽しそうに話すものだから、あまのじゃくな私はいつも

「なれないね」

そう言い切ってしまう、だからいつでも女達の嫌われ者になってしまう。夢を見ていたい年頃と、夢は現実に変えていかなければならない年代、考え方には大きな違いがある。そして余談だが、私幸せになれるかしら?なんて、話題を振ってくる時は、「なれるよ」そんな言葉を待っていますと顔に書いてある、現実以上に自分が可愛いと思っている、そのような方々に多い気がする。

 昔、テレビのCMで「幸せってなんだっけ〜」と歌っていたコメディアンは、今幸せになったのだろうか。

 その後、テレビドラマで「幸せは成るものじゃ無く、感じるものだ。」また「海水のように飲めば飲む程、のどが乾く」と言っていた人もいる、これは私の大好きなセリフだった。

 私はそれを聞いて以来、幸せを海に例えて考えるようになった。

 海は広さも深さもとてつもなく大きい、誰もその全てを知ることは不可能であるが、卵の殻をつつく程度に海に潜ると、みんな綺麗だととても感動して帰って来る。

 海は生命の源と言われている反面、生命をいとも容易く飲み込んでしまうこともある、それが運命なのか、海の神様の怒りにふれたのか、そんなことを問題にもせず、飲み込まれてしまうのである。

 我々陸上の生物の生活が汚れると、水を媒体に海が汚れていく。毎日、台所や風呂で洗う行為をしているが、それは様々な物質を水に流しているだけのこと、その水は間違い無く海まで向かって流れていく。勿論、川や地下水流の持つ浄化作用があり、自然界に流してもなんら問題の無い物質もある。要するに、自分が汚れると幸せも汚れるということ。

 海は広いな大きいな! 酒の席での男達に幸せと海の話題が盛り上がる。

 それを聞いていた、先ほどの女は
「じゃあ、幸せは海水のように、しょっぱいわけ〜」

それに対する返答は誰もしなかったが、女が席を外した数分の間に、

「幸せは、女には甘く、男にはしょっぱい物かも知れない」
「そうだよきっと!」
「そう思うよ、俺なんか・・・」

密かにこの話題が盛り上がろうとしている。