「缶詰」を発明したのが、私だったとしよう・・・そう、
もちろん「缶切り」も一緒に産まれた筈だ。
でも、食品を保存したいとか、そんな目的は無かった、
ただ単に、何かを作りたくて缶詰を作ってしまった。
初めての缶詰に何を入れようか?
とりあえず何かを入れないと、完成したとは言えない・・
身近な所にあった、缶切りを入れてみた
しかし、その缶詰は開けられなくなってしまった!
缶詰を壊せば缶切りを取り出せるが、
開ける缶詰が無くなってしまうし、
せっかく苦労して作った缶詰は壊したくない
誰にもそんな事を言えないから、その「缶切りの缶詰」は、
ずっと僕の家でしまったままになっている・・・
「電話」を発明したのが、私だったとしよう・・・
そう、もちろん世界を驚かす画期的な発明だ。
しかし、その電話は何の役にも、たってはいない
どこからもかかっては来ないし、
どこにもかけられない。
そう、電話は私の家にしかないのです・・・
勿論他の家にも電話を置けば、いつでもすぐに話ができる
1台目の電話の開発に全てのお金をつぎ込んだ、
2台目を作ることは出来なかった
そのうえ、電話線を張り巡らす技術も無かった。
出資者を探しても、誰も信じてはくれない・・・
相手にもされないのだ。
誰もこんなこと信じないから、その「電話」は、
ずっと僕の家でしまったままになっている・・・
時代の流れを超えて、普通より少し先を行こうとすれば、
普通の流れる人たちからは、理解できない人になるのです。
今まで時代を変えてきた、数々の有名な発明家達も、認め
られるまでは、みんなの笑い者又は変わり者として、笑わ
れてきたに違いない。
数々の失敗や挫折に加え、誰にも信じてもらえない、そん
な環境でも信じている自分がいたのでしょう。
大衆に認められた発明家はまだいい、死んでしまってから
認められることも少なくはない。ましてや、誰にもきがつ
かれ無いまま埋もれた、そんな発明品と発明家はたくさん
いるに違いない。
誰もこんなこと信じないから私たちは、ずっと自分の家で・
心の中で・自分の殻にしまったままになっている・・・
貴方も変わり者として、笑われてみたらどうでしょう?
笑われることは、困ることですか・・
笑われるのを避け行動をしないことが、本当の「困ること」
そう思うのですが、あなたはどう思いますか?