「これいくら?」

 あなたはお金で何をしますか? お金の価値には真実味はあるのでしょうか。

 本来、自分の食べる物は自分で用意する物である。鳥を捕まえるのも大変だろうし、魚を捕まえるのも大変であると思います。しかし、山の人間がたまに魚を食べたい時には、自分で捕まえるよりは海の人間の方が慣れているので、海の人たちに任せよう・・・ その代わりに、私は鳥をあげますから。
 お互いに、やってみたことのないことなので、お互いの獲物の価値を理解できない。鳥は1羽で5人で食べる事が出来る、魚は1人で1尾食べてしまうから、5対1で交換しよう。
 鳥を捕まえるのに名人でも1日に1羽しか捕まえられない、魚は1日に10尾捕まえられる、だから1対10で交換しよう。
 この場合はどちらが正しいですか、どちらも正しいと思うのです。ポーカーでワンペアの役でツーペアに勝ってしまうこともよくある話で、交渉が上手い方が得をするのかも知れない。これで得をするのも、鳥や魚を捕まえるのも同じ技術だと、そう考えるとどれも正しい。
 そのような物の価値をお金で割り切る現代社会。はい、これは100円! そう言われると、みんなそんなもんだと信じている。しかし、それでいいのかな? 値段と言う物は曲がりくねった道のりを、真っ直ぐな定規で測るような物。

 1000円のランチは500円のランチよりも2倍おいしいですか?
 月給30万の人は10万の人の3倍の人間ですか?

 新幹線を降りて思う。在来線のホームから出てくる人たちは、私と同じ駅から来たのであろうか、その差数時間を早起きする人は、特急料金数千円を払わない。
 帰りの新幹線を待つホームで思う。乗車口の表示の下に長い列、無理をしないでその隣の後発列車の表示に並ぶ人もいる、そちらの列は少し時間が遅くてもゆっくり座りたい人たちか?
 新幹線のドアが開き長い列がなだれ込む、昔を思い出すフルーツバスケット(知らないか?)、そのゲームの勝敗が着いたところで、ゆっくりとドアから入る指定席の人。さらに数千円払うと、自分の席は必ず空いているという仕組み、さらなる数千円で豪華車もある。
 私たちは時間や快適さを、お金で買っている。労働で時給1000円の人も30分早く着くために、1000円を払う。
 そうかと思えば何もない休日、暇つぶしにとお金を払う時もある。

 次は車の話。高速料金が・・・ これでは新幹線といっしょや!
 今乗っているのはポンコツの車、パワーは無いし・塗装は剥げているし・雨漏りはするし、新しい車が欲しい! 
 飛んできた新車担当セールスマン。「〜〜〜〜〜でしたら、これがお勧めですね、ターボが着いてパワーモリモリ・塗装はメタリックの輝き・勿論雨漏りはしません、180万円です。今の車は30万で下取りしますから、150万円のお買い物ですね」
 そこに現れた旧車保存会のセールスマン。「今の車もまだ、充分乗れますよ! パワーが無いのはあきらめて下さい、その代わりに50万円差し上げます。塗装が剥げているの我慢すれば50万円差し上げます。さらに、雨漏りも我慢したらこれも50万円差し上げます、合わせて150万円ですいかがでしょう?」

 あなたは明日何にお金を使うでしょう、それはあなたの自由です。しかし、もう一度その価値をよく考えましょう、心の中にはいつでも・・・
「これいくら」

#ここまで引っ張っておいて、「これは鮭の卵だよ」という落ちは書きづらくなった。